第3部 都市集合住宅の新時代
第八章 東京につくば方式マンション誕生
1 東京第一号の地主さん
新築住宅の扉
平成九年八月九日。つくば市内の第一号住宅が完成してからちょうど一年後、東京地区の最初のプロジェクトとなる世田谷区松原住宅の着工式が行われた。いよいよ本格的な普及への幕開けだ。
当日、少し早く現地に着いた私は、隣に新築された地主さん宅に挨拶にいった。自宅は、もともとは敷地の中央に建っていた。つくば方式マンションを建てるために、それを壊してマンションの隣に新しく建て直したのだ。
玄関に入って、久しぶりに地主の松田さんに会った。お元気だ。重々しい木製の玄関扉が印象的なお宅だ。
「ずいぶん風格のある扉ですね」
「この扉は、前の自宅で使っていたものです。それを寸法に合わせて、ここに付けました」。そして、家の内部を振り向きながら言葉をついだ。「室内の建具でも、使えるものはなるべく使いました。そうしないと資源を無駄遣いしてしまいますからね」。
思わずドキッとした。「資源を大切に」は、私が最初に松田さんに出会った時からの、思い出がこもった言葉だったからだ。
一本の電話
話は、東京第一号の最初にさかのぼる。
つくば方式の記事がマスコミに出始めた頃に、研究室に一本の電話があった。「建築家の高市と申しますが、雑誌の記事を見て興味をもちました。知り合いの地主さんに勧めたいのですが、詳しく内容を知りたいと思いまして」。
話を聞いてみると、かなり具体的だ。実現のチャンスがあれば、どんどん支援するのが我々の義務みたいなものだ。「一度、お会いしたいのですが」という依頼に喜んで出かけていった。
高市さんは、麻布に小さな事務所を構えていた。
この最初の会合は、平成七年七月だった。一緒に住もうという高市さんの四人ほどの仲間が相手。地主の松田さんの長男・実さんもメンバーの一人だった。私の説明に四人の呑み込みは早い。そして熱心に質問してくれた。
九月に入った頃、再び高市さんから電話があった。地主さん本人が賛同してくれそうなので、直接会って説明して欲しいとのこと。夏の間、会合に参加していた長男の実さんが、お父さんにいろいろと働きかけたようだ。思わぬ進展に気持ちが高ぶる。
地主さんとの出会い
その秋の一夜。高市さんの事務所で松田さんにお会いした。すでに会社を定年退職されており、温厚で風格を感じさせる地主さんである。
「東京で家を建てようと、世田谷区に三〇〇坪ほどの土地を買ったのが四〇年ほど前。当時は小さな財産だったんです。それが今では、税金の支払いが心配なほどになってしまいました」
東京は地価が高い。三〇〇坪ほどの土地でも、固定資産税の支払いが重い。それに一番の心配は相続税だ。場合によっては、その土地を売って別の場所に住まなければならない。不安になるのも当然だろう。
そこで、つくば方式の仕組みや相続税対策の方法をひと通り説明した。
しばらく意見交換をした後で、松田さんは、「相続税や固定資産税の支払いができそうなので安心しました」と肩の荷が軽くなったという表情で言った。そして続けた言葉が印象的だった。「それから、建物の使い捨てを避ける考えに大いに共感しました。資源は大切ですね」。
その時は、つくば方式への共感が得られてよかったという程度にしか思っていなかった。しかし、その後、この言葉は特別な意味をもつことになった。
松原を訪問する
実際に税金が支払えるかどうかを確認するためには、敷地に応じて計算してみなければならない。これは、事業企画者の役目だ。しかし、この段階では、つくば方式の事業ノウハウを知る者はいない。私たちが直接やるしかない。東京での研究開発のモデルプロジェクトとして、私がボランティアで対応することにした。
敷地を確認するために、松田さんの自宅を訪問した。
場所は、世田谷区の閑静な住宅街。広い敷地の中に、平屋の一戸建が建っていた。話では老朽化した一戸建と聞いていたが、思ったよりも新しい。築二〇年ほどだろう。それに、建築家の設計によるもので建物の質も悪くない。
家の中に入って、私はおもわずこう言った。「すてきなお宅ですね。壊すのはもったいないんじゃないですか」。
松田さんは静かに笑って言った。「相続税やら税金のことがあって、息子のことを考えてやらないといけないんです」。続けて、奥さんが助け舟を出した。「そろそろ台所などの設備が古くなって潮時なんです」
ご夫婦の複雑な思いが伝わってきた。松田さんにしても、本当は自宅を大切にしたいに違いない。しかし、現実には思い出多い自宅を取り壊し、次の世代に引き継がなくてはならない。
このやりとりを通じて、「資源を大切に」という言葉に込められた松田さんの気持ちが、私の心の片隅に引っかかっていたのだ。
地主さんが直面している問題
その後、私が計算した収支をもとに、松田さんがゴーサインを出してからは、もっぱら現役の実さんが事業の進行を見守った。だから地鎮祭の日に、私が松田さんにお会いしたのは、実に一年ぶりであった。そこで、あの玄関扉の話になるわけだ。
着工式のパーティーでの奥さんの言葉だ。「前の家が壊される時は、耳をふさいでいました。バリバリという音が心に残って……」。
台所の設備が古くなったというのは、半分は本当としても、半分は、松田さんご夫妻が自分たちを納得させるための方便だったのかもしれない。
私の推測もまじえた話になったが、東京の地主が抱えている厳しい現実は疑いようもない事実だ。
大都市では、そこに住む人々とはまったく無関係に地価が上がる。その高い地価の中で、税金を払うためには、土地の利用方法を変えるしかない。結局、住居のスクラップ・アンド・ビルドをせざるを得ないのが現実だ。これは、個人の力ではどうしようもない大都市の現実である。
でも、こんな問題をきちんと解決できないのは、私たちのような専門家の責任でもある。地価の高騰を防ぎ、将来の土地利用の展望をきちんと描き、それに沿ってみんなが街づくりをすれば、こんな不合理は起きない。
ちょっと苦い、松田さんとの出会いであった。
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