2 悲喜こもごもの入居者抽選
入居者選びは誰がする?
いよいよ入居者の募集だ。
東京第一号は、立地が良く価格も安い。専有面積一〇〇平方メートルのマンションが、四五〇〇万円+借地料月四万円程度だ。井の頭線の一等地だから、びっくりするような値段といってよい。口こみによって、広告を出すまでもなく参加者が集まった。参加したいという人は、履歴書を添えて申し込む。履歴書付きというところが、普通の分譲マンションと違うところだ。こうして、二〇世帯ほどの申込書が、高市さんの事務所に集まった。
ここで、困ったことが起きた。入居者選びは、普通は事業企画者を中心に行う。今回であれば高市さんだ。しかし、高市さん自身も当初から入居予定者だ。
「入居者が、他の入居者を審査するというのは、プライバシーの問題や居住後の人間関係もあって、うまくないですよね」と高市さん。
そう言われても、他に適切な第三者なんていない。乗りかかった船だ。私が、入居審査も含めてコーディネーターの役割を担うしかない。でも立場上、その役割の報酬は受け取れない。標準で八パーセントの経費率が、今回は六・五パーセントである。差額が私の働き分だ。松原住宅の入居者にはラッキーな結果となった。
結局、東京第一号では、これ以降、企画者が二つに分かれて進めることになった。建物の調整を担う建築担当と、入居審査や契約を担う事業担当だ。前者を高市さんが、後者を私や弁護士が担った。
入居説明会
いよいよ、入居希望者への説明会だ。
まず私から、つくば方式の内容を説明する。
「この事業は、皆さん自身が事業主です。マンション業者はいません。完成まで二年ほどかかります。その間、月一回ほど会合があります」
「皆さんが自由に設計できるのは、家の中・インフィルです。建物の骨格・スケルトンは、地主さんや他の入居者との調整から決まりますので、希望通りにならないことをご了承下さい」
「新しい借地借家法に従ったものです。皆さんの権利は、建物譲渡特約付き定期借地権です。これは……」という具合にポイントを紹介、もちろん資料も配って、それらは家に帰ってからじっくりと確認してもらう。
最後に、高市さんが建物の説明をした。模型を前にみんな真剣な顔である。ここは日当たりが良さそうだとか、地震には大丈夫かなどと話は尽きない。といっても、みんなは見ず知らずの関係だ。しかし、高市さんの熱心な説明に、みんなの心が早くも一つになったような雰囲気となる。
最終的に一五世帯が正式な申し込みをした。一一世帯が限度なので定員オーバーだ。みんな審査はオーケーなので、企画者側で勝手に決めるのは忍びない。そこで自分たちで抽選札を引いてもらうことにした。
運命の日は、平成八年五月一八日に設定された。
抽選会
島崎さんは、雑誌でつくば方式のことを知り、研究室に問い合わせてきた方だ。五〇歳前後のご夫妻で、子供はすでに独立している。「夫婦二人の暮らしですから、定期借地権の住宅で十分です。それに内部の自由設計にとても興味があります。立地も良く、ぜひ入居したいと思いました」。
問い合わせたすぐ後に、松原の予定地へ出かけて確認したという熱心さだった。
その島崎さんから電話があった。「五月一八日が知人の結婚式で出られないんですが、どうしましょうか」。これは仕方がない。「私が代わりに抽選札を引きますが、よろしいですか」。
五〇歳で買うとなると、島崎さんの永住の地になるだろう。一生の大事だ。それを左右するかもしれないと思うと、ちょっと気が重い。
当日、抽選会場になっている高市さんの事務所へ出かけた。
ドアを開けると、なんと島崎さんが、黒いフォーマルを着てその場にいたのだ。「結婚式にはワイフが出席して、私は披露宴からということで、なんとか間に合いました」。やはり、一生の大事だ。さあ抽選だ。
みんなドキドキだ。封筒を引く。ホーというため息が聞こえる。
島崎さんの番だ。封筒を開けた瞬間、アッというため息。なんと落選だった。
落選者は補欠にまわる。抽選後にみんなが集まり、自己紹介。島崎さんの番だ。「見事に補欠に当たりました島崎です」の言葉に、皆が笑い、緊張した場がなごむ。運命だから仕方がない。補欠も組合会議に出ることは自由になっているが、実際は出る気にはならないだろう。
この日の一週間後に、建設組合規約と借地仮契約書を提出する。「この書類に署名捺印した後は責任が生じます。途中で脱退すると、代わりの入居者を自分で探す必要があります」と私。一週間後までに書類が提出されない場合は、補欠の人に権利が移る。それから一週間、全員が書類を提出した。島崎さんの希望もここで消えたのである。
後日談。ユーモアのある挨拶で場を和ませた島崎さんは、平成九年秋に募集が始まった、「つくば方式東京三プロジェクト」の一つに入居することになった。めでたい。
建設組合の発足
建設組合の第一回の会合が、六月に開かれた。一緒に住むことになる仲間の最初の集まりだ
顔ぶれはさまざまだ。大学教授、商社マン、雑誌編集者、銀行員、コンサルタント等々。つくば方式プロジェクトがあったら絶対参加したいと待機していた人もいれば、偶然、友人からこの計画を聞いて申し込んだ人もいる。
一番若い井口だんは、三〇歳の商社マンである。「マンションは消耗品のようなもの。分譲を買う必要はない」という意見だ。消耗品とは商社マンらしい。ちょっと引っかかるが、分譲マンションを永遠の資産と考えるおろかさを指摘しているのは大賛成だ。
ところで、つくば市内の第一号住宅では、一戸建と比較したメリットや長所を指摘する入居者が多かった。それに対して、東京では、分譲マンションとの比較が多い。さすがに大都市らしい特徴が出ている。
また、建設組合の理事長は、大学教授で、集合住宅研究の第一線の専門家の本間先生だ。本間先生の意見を聞いてみよう。
「老朽化した分譲マンションを建て替えるのは、住民の合意形成の難しさを考えると事実上、不可能でしょう。しかも所有権は永遠に続くから対処が難しい。その点、一定期間安心して自分のライフ・ステージを送り、その期間が終ったら権利を解消するつくば方式は、今後の住まいとして理想的です。親が資産を残さないと、子供は満足な家に住めないという悪循環もこれで断ち切れます」
この終りの部分の意義は、私も気がつかなかった。さすがに目のつけ所が違う。井口さんの消耗品というのも、言葉を変えれば、期間が終ったら権利を解消するという点に通じる。みんな、よく考えている。
東京第一号では、高市さんを含めて三世帯の建築専門家がいる。そういえば、つくば市内のプロジェクトも一四世帯中の三世帯が建築専門家だ。同業者にも評価されていると思うと、つくば方式の発案者としては嬉しい。
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