3 参加意識が深まる組合活動
免震の採用をめぐって
建設会社は、コンペ(提案協議)で決めることにした。
つくば方式の開発に関心をもつ各社にコンペを依頼した。どのようなスケルトン構造を、どの程度の費用で実現するかが競われたのだ。
スケルトンを工場生産する方式を提案した会社、地震に強くするための工夫を提案した会社などさまざまだ。さすがに研究を重ねてきただけあって、どの案もすばらしく、選択に苦慮する。
建設組合の第三回会合では、その提案書をみんなで議論した。
最後まで意見が分かれたのが、免震の採用だった。ちょうど、阪神淡路大震災が起きた直後だ。世間の関心も地震対策に集中し、免震構造といって、柱の下にゴムを挟んで地震を吸収する方法が脚光を浴びていた。これを採用するかどうかをめぐって意見が割れたのだ。
困ったのは、入居者の中の建築専門家の意見が分かれたこと。みんなが私に言う。「建築研究所は、地震の専門家がたくさんいるでしょ。その方に、それぞれの案をみせて評価してもらえませんか」。
内心弱ったと思った。確かに一流の研究者がそろっているが、この問題は構造方式の話ではない。免震を採用するために高くなる費用と、それによって得られる安心感とを比べての費用対効果だ。そんなことは、いくら専門家に聞いてもわかるはずがない。当事者の価値観によるものだ。
しかし、断れそうにない。とにかく、一度意見を聞いてみることにした。
「安全率」という決断
研究所の友人に聞くと、さすがに、それぞれの案の長所と短所をすぐに整理してくれた。最後に、どの案を選んだらよいかという質問に、「そりゃ、お金があるかどうかの問題。私に聞かれてもわかる訳がないよ」という答えが返ってきた。
これでは子供の使いだ。でも他に手がない。整理したデータだけを、次の会に提出することにした。
議論というのは面白いものだ。もめた時には、真ん中をとった折衷案が出る。つまり、免震構造は採用しないが安全率を高くするという案だ。免震にすると増額が四〇〇〇万円だが、安全率の上昇ならば八〇〇万円ほどでできる。決め手になったのは次の意見だった。
「普通の建物より一・三倍地震に強くすれば、この建物が壊れる時には、まわりがすべて全滅ということ。そうなったら、壊れても何とかなるさ」
よく考えれば「……?」という話なのだが、妙に説得力があった。結局、この案に基づいて佐藤工業が選ばれた。
これをきっかけに、入居者一人一人が真剣に考え始めた。建物に愛着が生まれる一つの過程だろう。もしかしたら、怪我の功名だったのかもしれない。
近隣調整を乗り越える
年末から近隣住民への説明が始まる。
東京第一号は、当初から、近隣にできるだけ配慮した設計を進めることが合い言葉だった。事実、普通の分譲マンションとは比べものにならないほど配慮された建物となっている。それで、近隣の方々にも、すぐに納得してもらえると楽観していた。
これが失敗だった。予想以上に難航したのである。
確かに、それまでは一戸建が建っていた場所だ。そこに四階建のマンションができる。業者のマンションに比較すれば、周囲の住環境に格段に気を使っているとしても、昔の環境と比べると悪化することは避けられない。近隣の方々の気持ちもよくわかる。
説明後、間もなく反対運動が起きた。
コーポラティブ方式の場合は、近隣と同時に、建設組合の内部も調整しなければならない。近隣住民と入居者の板挟みになったのは、調整を担当した建設会社の皆さんだ。本当に頭が下がる。例えば、建物を南側にずらせば、北側の住民には良いが、マンションの一階に入る予定の参加者にとっては自分の日照を悪くすることになる。
和解にこぎつけられたのは、その一階に入居予定の田沢さんの言葉だった。「私は少し日照が悪くなっても、北側の皆さんに配慮してあげて下さい」。 わずか三〇センチメートルの移動だったが、その気持ちが伝わっていった。
地域の建築基準をつくろう
この問題は、根本的には、日本の都市計画の未熟さに起因するものだ。
本来は、その地域の建築基準について住民同士が合意して、それを公表するのが理想だ。つまり、建築の協定をつくるのだ。それが公表されていれば、マンション側もあらかじめその基準に沿って設計する。後で紛糾するというトラブルはなくなるだろう。
とはいえ、住民同士だって利害はさまざまで、建築協定がつくれないことも多い。そのような場合は、一般の法律に定めた基準で我慢するのが近代社会のルールだ。
いずれは都市計画も成熟していく。それまでは、調整を担当する設計者や建設会社の負担は大きいが、地道に解決していくしかない。
一方、入居者の確定を近隣調整の後にするなど、大都市でのつくば方式の進め方を工夫することも大切な課題になるだろう。
しかし、近隣調整には利点もある。それは、この近隣調整の過程で、みんなの関心が街づくりへと広がっていくことだ。いつか、それが集約されて、都市計画のあり方を変える大きなパワーになる日がくるに違いない。
さあ建築工事の開始
さて、全員共通の課題と並行して、それぞれの家の設計が進む。あれもこれもと夢がふくらむから、たいていどの家も予算オーバーだ。最後は、予算とにらめっこしながら調整が必要になる。
「ドイツ製のシステム・キッチンが夢だったけれど高くて無理。無念の涙」
「床暖房だけは、他の費用を削っても入れたいと思っているんです」といった会話が、あちこちで交わされる。そうして設計された一軒一軒をみると、それぞれの夢とバラエティにあふれ、一人一人の思いが伝わってくる。
平成九年八月九日の地鎮祭。神主さんの祝詞(のりと)を耳にしていると、この一年のさまざまな思い出が頭をめぐる。入居者の顔も晴れやかだ。そして、さらに一年後には、すばらしい家が完成しているだろう。家を注文設計して、建設現場を見て、そして隣人や地主との信頼関係を築くために二年という月日は、あっという間だ。
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