第1部 成熟社会 住宅選びが激変する
第一章 郊外の庭付一戸建てがスラム化する?
1 庭付一戸建を捨てる高齢者
調査結果にびっくり
ここに一冊の報告書がある。平成五年に実施された茨城県の中核都市の住民調査であるが、その結果は意外なものであった。(注1)
調査は、昭和四〇年代に販売された郊外の庭付一戸建を対象としている。そこに住む五〇歳以上の方を対象に、将来の住まいについて聞いたものだ。
「老後も今の住宅に住み続けられますか」という質問に対して、なんと二割強が「できない」と答えている。また便利な場所にあるマンションへの転居希望については、「是非希望する」と「条件が合えば希望する」を合わせると、なんと七割近くに達する。つまり、大多数が庭付一戸建を捨てても良いと回答している。
郊外の緑に囲まれた「庭付一戸建」といえば、住まいの理想であったはずだ。これを手に入れれば人生の成功者であり、住宅政策の上でも「一丁上がり」であったはずだ。それが、どうして庭付一戸建を捨てようとするのだろうか。にわかには信じがたいというのが率直な印象であった。
しかし、同様な傾向は他の調査にも表れている。大都市の有料老人ホームの調べでも、一戸建を売って入居した人が多数にのぼる。また、首都圏のマンションでも、一戸建から移り住む人が確実に増えている。 いったい何が起こっているのだろうか。
子どもと同居しない人々
以下は、住民へのインタビューである。
「今の世の中、子供と同居するなんて無理でしょう。年寄りの夫婦だけで郊外の一戸建に住むことを想像してみなさい。筋金入りの農家ならいざ知らず、サラリーマン生活に馴染んだ我々にはきついですわ」
「しかし、定年後は庭いじりや釣りをして悠々自適に暮らしたいという希望も多いそうですよ」と水を向けると、今度は奥さんの弁。
「そりゃ、男の人の発想ね。庭いじりも定年後しばらくだけ。後は、年をとると庭の手入れは重労働になるだけ」と、手厳しい。「女の人の本音はね、主人が亡くなった後のことを考えているのよ。不便な場所にある一戸建で、おばあちゃんの一人暮らしなんて、考えただけでも不安でしょう」。
その時は子供の所へ……と言いかけて、口ごもってしまった。それは、私のような子育て世代に課せられている切実な問題である。狭い都会の家に親を引き取ることなど、たぶん無理だ。
庭付一戸建を捨てる背景には、子供との同居が難しくなっている事情がある。
なぜ郊外の一戸建住宅が住みにくいか
先の調査から、なぜ、庭付一戸建に住み続けられないかを見てみよう。
@庭や家の維持管理が大変なこと
老後を迎える頃は、家を買ってから二〇年ほどが過ぎている。ちょうど家の修理にお金がかかる頃だ。その額は、通常の一戸建でも数百万円を超える。年金生活に入った立場では負担が重く、子供が同居しない場合は、お金をかけて修理すべきか、それとも転居すべきか迷う。それに、庭の手入れはいつかは重荷になる。インタビューの席で奥さんが指摘した通りである。
A車の運転が不安になり、生活に不便を感じること
近くに店舗や病院がそろっている場所ならば、一戸建でも不安はないだろう。しかし、普通のサラリーマンが購入できる一戸建となると、たいてい郊外にある。緑が多くて空気が綺麗と喜んだのも今は昔。車の運転に不安を感じるようになると、とたんに住みにくくなる。特に、日本は道路事情が悪い。トラックにせっつかれ、渋滞に巻き込まれ、その上、狭い駐車場に入れるのに苦労する現状では、老後、比較的早めに運転がおっくうになる。
B地域社会に期待できないこと
古い集落ならば、困った時に地域社会の助けが期待できるかも知れない。しかし、問題が起きているのは新興住宅地だ。そこでは、サラリーマンや共稼ぎが多く、地域活動が活発というわ けではない。老人は家に閉じこもりがちになるし、万一の時の助け合いも期待しにくい。まして、お年寄りの一人暮らしになると、防犯の不安も感じるようになる。
以上の理由を見ると、確かに納得せざるをえない。つまり、立地が不便であることと、一戸建であることが合わさって、老後の住みにくさが意識されているのだ。
ところで、回答された方々は、その時点では十分に元気であり、当面の生活に困っているわけではなかった。問題は、将来に対する不安だ。元気なうちに何らかの対処をしておかなければという気持ちが、庭付一戸建を捨てる動機になっている。
なぜマンションを選ぼうとするのか
先のインタビューの話を続けよう。
「どうしてマンションかというと、やはり便利な場所に住みたいのが一番ですね。買い物にも楽だし、遠出をするのにも駅の近くがいいですよ。それに、病院や福祉施設が近くにあれば、イザという時に安心です
立地の良さが評価されているわけだ。それならば、便利な場所にある庭付一戸建が最も望ましいのだろうか。これについて聞くと意見が分かれた。まず、ご主人。
「それができれば最高でしょうね。しかし値段が高くて無理。そもそも、それが買えないから今の場所に一戸建を買ったんです」
おろかな質問をしたと、恐縮してしまった。これに対して、奥さんは割り切った意見であった。
「マンションの方が家の管理が楽でしょう。庭の手入れもいらないですし」 「外出する時も鍵一本で戸締りができるから楽ね。子どもの家に出かけて長い間留守にしたって大丈夫」
マンション形式そのものを評価しているわけだ。
この老夫婦の意見だけから一般化することは危険だが、概して、男性は庭付一戸建を理想としつつ、あきらめるという傾向。女性は、マンションそのものを積極的に評価する傾向があるように感じる。
さらに、東京で女性の集まりがあった時には、「マンションは一人暮らしでも安心。特に仲間同士が集まって住むようなマンションがあったら最高ね」という、新しい住まい方を提案する意見もあった(注2)。
確かに、これらの意見にみるように、マンション暮らしのメリットは大きい。しかし、私の心に引っかかったのは次のような言葉だった。
「でも、住みたいと思うマンションは少ないですね。ほとんどのマンションは、若い人中心で近所付き合いもなく、冷たい感じでしょう」
「本当に自分の暮らしに合ったマンションがあれば喜んで転居するけれど、なければ、しばらく郊外暮らしを続けるつもり。最後の最後は、家を処分して老人ホームにでも行くんでしょうね」
あきらめの気持ちが伝わってくる。
最初の調査結果(図1)に戻って欲しい。実は、圧倒的多数は、「条件によっては住替えを希望する」だった。その条件とは何か。自分の暮らしにあった住宅、価格の安さ、福祉との連携などである。しかし、そのような理想のマンションは現実にはない。
このままでは、庭付一戸建もダメ、マンションもダメということで、都市居住者の願いは行き場を失ってしまう。新しい住まいが是非とも必要なのである。
親子同居、利便性、地域社会という三要素の喪失
少し話を戻そう。以上のような庭付一戸建の問題は、どうして、これまで表面化しなかったのだろうか。大きく三つの理由が考えられる。
第一は、これまでは、老後は子供と同居するのが当たり前だったことである。同居していれば問題は少ない。あるいは、同居でなくとも、近居でもよい。さらに親子でなくても、兄妹や親戚などの血縁がこれまでは一定の役割を果たしてきた。
第二は、地域社会の支えがあったことである。血縁から外れた場合でも、イザという時には近所の支えが期待できた。
第三は、車社会の到来前は、便利な場所に暮らすことが一般的だったことである。例えば、生まれ育った地域を離れた人々の多くは大都市に流入した。彼らの多くは長屋に住んだ。長屋暮らしは一見劣悪なようだが、商店や職場も近くにあり、利便性の高さは群を抜いていた。
一方、大正時代以降になると中流サラリーマンが都市に台頭し、彼らは郊外に家を建てるようになった。しかし、戦後の高度経済成長は都市を膨張させ、かつての郊外を便利な市街地へと変えた。つまり、高度成長期までに家を建てた中流家庭は、今や「便利な場所の一戸建」に住んでいるのである。
しかし、その後はどうだろうか。昭和五〇年代に郊外に家を買った人々は、その恩恵を受けることは少ない。そして現代は、まさに、その世代がちょうど定年後にさしかかっている。
この世代の多くは、都市家庭の次男・三男や、地方の町村で生まれ育った人々である。心の原風景に庭付一戸建があり、それに憧れたのも当然だ。しかし、親子同居、地域社会、便利な場所、という三つの支えを失うなかで老後の現実に直面し、庭付一戸建の憧れが幻想であったことに気がつく。
これからは、一人一人の生活実態に即して、どんな住宅が住みやすいかを冷静に見つめる必要がある。例えば、都市サラリーマンで親子が別居する人々にとっては、先の老夫婦のインタビューにみるように、市街地のマンションが最も適しているのかもしれない。
都市生活に相応しい住宅像の確立に向けて、本格的な見直しの時代が始まったといってもよさそうである。
親子が同居すれば大丈夫?
ところで、ある会合で、庭付一戸建の危機を紹介する機会があった時に、ご年輩の方から次のようなご批判をいただいた。「親子が同居すれば大丈夫じゃから、同居を進めるのが先決だ。あなたの意見を聞いていると、別居を推奨しているようで賛同できない。日本古来の教えは親孝行だよ」。
もっともな意見だが、これは、問題の本質を取り違えている。庭付一戸建の危機は、同居を否定したものではない。同居できるチャンスがあればどんどんするし、それができる環境を求めることが大切だ。しかし、問題の本質は、子供の就職地が離れていたりして、同居したくてもできない世帯が増えていることだ。庭付一戸建の危機は、心がけによって解消できるものではない。
しかも、産業化が進んだ社会、言いかえればサラリーマンが多くなる社会では、同居したくてもできない世帯が確実に増える。そのような状況の中で、同居しろといわれることは、職場や転勤の問題などで、今度は子供世代に矛盾が表われる。それでは、問題の本当の解決にはならない。
サラリーマン社会に相応しい住まいのビジョンが、是非とも必要なのである。
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